ピアノ+アレクサンダーテクニーク講座
「演奏するからだ」シリーズ 全5回 主催:アート&プリマ オンライン講座+対面ワークシ …
福士恭子 ピアノ&アレクサンダー・テクニーク
福士恭子ピアノリサイタル Kyoko Fukushi Piano Recital
Aaltomuoto Sarja 「波紋」シリーズ vol.11
2025年12月14日(日)14:00 森の音楽室 河口湖 山梨
12月19日(金)19:00 渋谷美竹サロン
徳山美奈子氏の「メメント・モリ」全曲 ピアノソロ版世界初演!
シベリウス生誕160周年記念
~Program~
ジャン・シベリウス (1865 – 1957) : 即興曲第5番Op.5-5
Jean Sibelius : Impromptu V, Op.5-5
ジャン・シベリウス :
組曲『ペレアスとメリザンド メリザンド』 Op.46
Jean Sibelius : Suite ’Pelléas et Mélisande’ Op.46
ジャン・シベリウス : 孤独なシュプール JS 77b
Jean Sibelius : The Lonely Ski Trail JS 77b
徳山美奈子(1958 – ):『メメント・モリ』(1995) ピアノソロ版 <世界初演>
Minako Tokuyama : Mémento-Mori <world premiere>
《自身との別れ》Abschied von selbst
《他者との別れ》Abschied von andere
《死者との思い出 ラクリモーザ》Lacrimosa
《祭礼》Toten feiern – um Die Seele weiter leben zu können
《来迎》Abholung vom Licht
●チケット料金(全自由席):14日、19日 3,500円
●チケット申込:peatix (東京公演のみ) https://kyokopianorecital.peatix.com/view
●チケットお問い合わせ:k.fukushipianorecital@gmail.com
今回は『Vita・Historiaひと・ものがたり』と題して、
前半にシベリウスが物語と音で表現した作品を、
後半に徳山美奈子氏の「メメント・モリ」全曲を取り上げる。
シベリウス自身が「音詩tone poem」と表した作品群に表される表題を超えた普遍性は、ピアノ曲にも反映されており、聴く側の自由な想像力を生み出す。
1917年ロシアから独立するフィンランドが、民族を強く意識した時代。シベリウスがフィンランド独自の言葉と文化を追求したのち、民族的な表現から離れ、次に求め続けた世界観が表された「ペレアスとメリザンド」。「孤独なシュプール」では語りと共にお届けする。
「メメント・モリ」はバレエのための室内オーケストラ作品で、1995年度ウィーン国際作曲コンクール(クラウディオ・アバド音楽監督)にて第一位受賞、ウィーン・モデルン音楽祭でウィーンオペラ座バレエ団により振付、1997年に初演された。今回のピアノソロ版全曲演奏は、世界初演となる。
メメント・モリは『死を想え』という意味だが、それは「死者の魂が生き続けることでもあり、神道、アニミズム、キリスト教等の宗派を超え、音楽と言う祈りのかたちで、本来人間が還るべき姿を表す(徳山氏)」。
混沌とした今の世界、人間の「在り方」を真に問う作品として、自分と向き合い、他者との関わり、社会との関わりについて考えるきっかけとなることを心から願う。
「何もしない」とは? Non-doing
人はもともと本能として生まれ持った、無理のない動きでハイハイをし、立ち上がり、歩き出します。
ところが、少しづついろいろな習慣で、無意識に力を入れて動いたり、キープしたままで過ごし続け、さらには、それに気づかずに固めたまま生活しています。
痛みや凝りが出た時に、その部分だけほぐしても、同じ使い方をしていれば、同じルーティーンを繰り返すことになってしまうでしょう。
首が自由で、頭が前へ上へ、そして背中が長くて広いという方向性とその3つのつながりを考えることで、余分に働いていた筋肉の力を使わずに、腕、脚が身体から自由に離れて使えるようになります。
すると無意識に固めることなく「何もしない」状態が生まれ、さまざまな緊張を解放していきます。
動きそうになる、その気持ちにストップ、そし待ち、方向性(首頭背中)を考える。
待つことで「この力、使わなくてもよいかも」と自分自身が気づくきっかけになります。
それを繰り返し自分に言い続けることで、新しい習慣として入れ替わっていきます。
すぐに動こうとする自分に「待つ」を言い続けてみませんか?
その結果生まれる「何もしない」状態は、腕の使い方へ影響し、空間の意識につながり、視覚、聴覚への変化がゆっくりと生まれていきます。
さらには解放されることで、音への想像力にも自由な拡がりが生まれるでしょう。
「拮抗する力」
橋は、かなりの荷重に対して、あらゆる方向の均衡と拮抗する力が働いて存在しています。
身体の構造も同じです。
何気なく座っている自分の様子を、少し観察してみましょう。
無意識に背中が落ちて、首が縮まり、頭が後ろへ下がっていませんか?
または、その逆に、頭がずしんと前へ落ちているかも?
座面には座骨が接し、S字型に湾曲した背骨が支え、その上に頭が気持ちよく乗っている状態を考えるだけで、呼吸が楽になります。
背中をピンと張る必要はないけれど、だら~んとゆるんだ状態でもない。
もちろん必要な筋肉量はあります。
足が接している地面が支えてくれ、頭のてっぺんの部分とつながっていることや、前と後ろ、左と右と、拮抗しあい、バランスをとっていると考えてみましょう。
演奏するときも同じです。腕を鍵盤に置いたとき、足と地面の関係のように、手と鍵盤も支え合っている。押したり、たたいたりする必要はないのです。
まず鍵盤に手を置いたときの手の重さを感じてみましょう。動きを早くすればfに、やわらかく使えばpと、素直に答えてくれるはずです。
重力は下へ向かいますが、さらに何かを力で加える必要はなく、逆に「上へ」向かうことを考えてみましょう。
すると自然と呼吸も楽になり、音にも広がりがうまれてくるでしょう。